Dr.'s エッセー
理 事 長 工 藤 謙 三
誤 診   
 
医学部を卒業した直後、のことである。外来に顔面神経麻痺の患者さんがやってきた。60歳代半ばの男性で長らく外仕事にたずさわってきたのであろうか、顔には深いしわが幾筋も刻まれていた。「三日ほど前から少しふらつくようになって昨日から顔の右半分が動かなくなった。水を飲もうにも、こぼれてうまくない。何とかならないでしょうか」と声も弱々しい。
顔面神経麻痺には、脳の障害からおこる中枢性のものと、末梢の神経のみが侵されるものがあって、後者はひたいにしわができないという特徴がある。だがこの患者の場合あまりにも深く刻まれたしわのために鑑別が困難であった。歩行時にふらつくということは小脳に病変があるのかもしれない。脳腫瘍だろうか?かけ出しの私は早速大学病院に送ること
にした。
後日、脳外科の外来を訪れた患者さんに私も同伴して顔見知りの助教授の診察を受けた。助教授は私の報告には耳を傾けようともせず、いきなり次のように切り出した。「帯状疱疹だよ。末梢性の神経麻痺だね。小脳近くにも及んでいるためにふらつくんだね」このとき右の耳たぶに特有の発疹ができていたが、不運にも数日前私が診察したときにはまだなかったのだ。赤面する私に助教授は重ねて言った。「君は前向きだね。誤診こそいい勉強になるんだよ」
里親募集中    
 
1年半ほど前から育て始めたブルー・ディスカスに子供が生まれ、80匹が元気に育っている。もうすぐ10週間になるが、孵化してから自力で泳げるようになった稚魚のすべてが健在である。目下のサイズは5百円玉より一回り大きいくらい。目に入れても痛くない、とはよく言ったものだ。
そもそも当院のX線技師がベテランのアクアリストで、彼から6匹いただいたのが始まりだった。約1年間、ほとんどを私の家内が世話をしてきた。そうするうちに2組のペアが出来上がり、残る2匹をつついて猛烈にイジめはじめた。見かねた私は医院の自室に新たに水槽をしつらえて、自宅から移転させることにした。
自宅に残ったペアは産卵に成功し80匹の子持ちとなった次第である。独特の美しさもさることながら、夫婦交代でファンニングして終日卵に水を送り、孵化したけしつぶほどの稚魚を口にくわえて世話する様子に魅せられて私は完全にとりこになった。 ディスカスミルクを体表から発散して幼魚を従える様子を合計10数時間ビデオに撮った。
医局に運び込んだもう一方のペアは幾度も産卵するのだが、うまく孵化せずいまだ子供がいない。イジめられていた2匹は性格が臆病になったものの、これもダイアモンドブルーの名に恥じない輝きを現し出した。
ディスカスの子育てを手伝ううちに、生活態度も一変し、朝5時には起床して水槽の水を取り替え、幼魚たちの世話に余念がない。しかしこのままいつまでも80匹をケアすることなど不可能なので、どなたか愛情を持って世話してくださる方があれば、ぜひお譲りしたいと考えている。ご連絡をお待ちしている。
胃カメラの今昔    
 
かつてタレントの永六輔さんが、「胃カメラを飲む、というのはウソですね。とんでもない。アレは強引に押し込まれる、というものですよ。」とラジオで憤慨していたことがあった。
そもそも私がまだ医学生だった三十数年前、ガストロカメラ、と称して初めて開発されたシロモノは超小型カメラをコード付きで飲み込んで、めくら打ちにシャッターを切るというものだった。その後光のファイバー線維を通じて顕微鏡を覗くようにして胃の内部をリアルタイムで見ることができるようになり、さらにはブラウン管に映して複数の目で同時に見ることが可能になった。いまではファイバースコープの直径も8mmという驚異的な細さのものがある。
飛躍的に進歩してきた胃カメラではあるが飲み込むときに苦痛を伴うことは依然として昔と同じである。
そこで私は麻酔科医の国家資格をもっていることから、あまりに胃カメラを嫌がる人に早くから全身麻酔を併用してきた。評判を聞いてずいぶん遠くからやってくる患者さんもいた。
胃カメラによる一連の検査が終了するまで静脈麻酔剤を用いて眠ってもらい、終わり次第拮抗剤によって麻酔薬を中和する。したがって非常に短時間で目が醒める。この方法ならきっと永六輔さんも文句をいわないだろうと思う。
しめくくり    
 
そのとき外科医長として私が勤務していた道東の町立病院では12月30日が仕事納めだった。『やれやれ一年も終わりだなぁ』
感慨にふけっていると、警察から電話で連絡が入った。
「首吊り自殺です。検死をお願いします」
道東の内陸では十二月も末には厳寒に見舞われる。うっすらと雪の積もった道路を出かけてみると、検死係の警察官が茄紺の上下の制服を着て待ち構えていた。 狭い公営住宅の玄関をくぐってみたが畳の上には誰もいなかった。二部屋ほどの間取りだから一目で見渡すことができる。 「仏さんはどこですか?」
私が訊ねると、係の警察官が私の立っている後ろ上方を指さした。振り返って見上げると、今通ってきたばかりの入り口の柱に人間がぶら下がって私を見下ろしているではないか・・・・。
何も私が行くまでそのまま現場保存してくれなくてもよさそうなものを、と思ったが、まずは遺体を降ろして形どおりの検死を終えた。
落ち込んだ気分で病院に帰り着いて、院長に報告すると「大晦日を前にして、文字通りのしめくくりだったな」との感想であった。
命を助けるばかりが医者の使命ではない。時に、人生のしめくくりの手伝いすることも大切な役目の一つなのだ。
傷 痕 の 怪    
 
救急車で運ばれてきた患者は四〇歳半ばの女性だった。 車同士の正面衝突による交通事故の被害者である。病状を尋ねるとお腹が少し痛いという。診るとかすかながら腹膜炎の所見がある。 腸管破裂の疑いが否定できないケースだ。
このとき胸と下腹部にある二条の古い手術の痕が目にとまった。 一条は胸の中央を縦にまっすぐみぞおちまで走り、もう一つは臍から陰毛のあたりまで下腹部の中央を縦に走っている。 たずねると、それぞれ数年前の心臓と婦人科の手術の痕だった。
その後症状は増悪し、思い切って開腹術に踏み切ることにした。
唯一傷痕のない上腹部の真中を、臍まで一気に切り下げてお腹を開けると、果たせるかな小腸の腸管破裂が現れた。
手順どおり損傷した腸管を切除し、腹壁を縫合して手術を終えた。 私は自分の判断が正しかったことに満足し、麻酔から目覚めた彼女にもう安心であることを告げたのであるが、 このとき彼女が弱々しい声で語ったことは印象的で今も忘れることができない。
それは「手術の傷はいつかは胸の上から下までつながってしまうような予感がしていました。どうもありがとうございました」というものだった。
ピロリ菌退治    
 
ある日、当院のナースのYさんが胃のあたりを押さえて青ざめた顔をしていた。 「先生、胃潰瘍が再発したらしいんです。いつもなら手持ちの薬を飲めばすぐにおさまるのに、今回ばかりはダメなんです。 何とかしてください」「すぐ胃カメラの用意をさせよう」「そればかりは勘弁してください。以前にヤられて懲りてますから」
私はかなり不満だったが、患者のわがままのなかから、すこしずつこちらのペースに持ち込んで治療を組み立てていくのはいつものことである。 「仕方がない。その代わり、ピロリ菌を除菌する治療を受けなさい」「それって、苦しくないんですか?」「本当なら、胃カメラを使って潰瘍の確認をしたうえで、じかに培養して菌を証明するんだよ。 でも呼気検査と採血で抗体を測定するだけでもできるから、それはぜひやってもらおう」
ピロリ菌(正式にはヘリコバクター・ピロリという)の治療は、昨年十一月に健康保険がきくようになったばかりの最先端の医療である。 彼女の検査の結果はどちらも陽性で、すぐさま一週間の除菌療法を開始した。 胃の痛みのほうは、私の処方薬によって翌日には軽快していたから、彼女としても胃カメラを拒否した代わりの取引に応じないわけには行かなかったのである。
治療を終えて、めでたく胃の中のピロリ菌は駆除されるにいたったが、彼女の同僚に対する言い分がふるっている。
「ピロリ菌を退治するなんてすごく簡単なんだから。もうこれであの忌まわしい胃の痛みともオサラバね。 でも胃カメラもたまにはいいかもよ。早期の胃がんなんか、見つかったりするからね。私もそのうちオイシクいただこうかなって思ってるの」
よくもヌケヌケとそんなことが言えたものだと、私は押さえた腹のうちの始末に苦労してしまった。